らくらくらいふ

おだやかでおちついたきもち、それだけ

感想文

立派な人間になれなかったのではなく、ならなかったのだ。大好きな人を想像して、大好きな人と大好きな場所でぬくぬく穏やかな時間を過ごす妄想をして、どうして自分はそうなれないのかって思ったけど、どうして自分はそうなれないのかって感情が浮かぶ時点で、そういうことなんだよ

 

 

 

苦しい、悔しい

って思えるのはひとりの布団の中だけだ、なんでいつもこう思えないんだろうな。明日になったらひたすら憂鬱で、頭も体も重くて、ただそれだけで、もやもやした感情に身体中が支配されてしまって、ただそれだけ

 

 

 

幸せを感じられないのが悔しいんだ。年下が大活躍してるのが悔しいんだ。年下が努力して活躍して、人生って、みたいな話をして、深い洞察力にひたすらぶちのめされたんだ、この人は努力してここまで来た、自分は布団の中で人生を悲観して、明日が怖い、家の外が怖い、明日も明後日も人に会うのがいやだ、つかれた、って、ただそれだけだ、途方もない差が悔しくて

 

 

 

暇だから明日も仕事に行こう、死ぬまでの長い時間、何もしないのは暇だから仕事に行くんだ、何もしないのは暇だから、仕事に行って、失敗して、怒られて、泣きそうになって、ひたすら重い心で明日の想像をして、明日も仕事だ、ずっと仕事だって思って、ため息を飲み込んで、どこにも行けない歯がゆさ、息苦しさ、負け犬

 

 

 

大して苦しい毎日じゃないのに苦しいのはなぜだ?人に誇れるほどの失敗体験もありゃしないのに自己肯定感が低いのはなぜだ?死にたいほど辛い経験をしたなら清々しく人を嫌いになれるけど、そんなことないのに人が好きじゃないから、普通にただの嫌な奴じゃん、消えな

 

 

 

もしもわたしが消えたなら、の想像をして、ふわ~っと解放感に満たされる、この感覚で生きていきたいですね、みんなが求めてるのはわたしではなく、スーパー塾講師なのだ。役割を求めてるんだ、じゃあ僕はずっと家にいるよ。家の玄関で役割とハイタッチして人生を交代しよう、役割だけが出勤しろ。僕はずっと家の中にいる。分身ではなく、ふたつでひとつなのだ。AをコピーしたA'ではなく、ふたつあわせてAなのだ

 

 

 

貴重な20代はこうして終わるのか?二度と戻らない時間を後悔することだけに費やして、かなしくなるだろうな、泣いちゃうかもな、30代、ふざけんなよ、って言いたくもなるよ。人生を変えろよ、いいかげん人生を変えろよ、でも、でもと言って結局布団の中に帰ってくるなら、幸せになることを諦めてください、つらいので