らくらくらいふ

おだやかでおちついたきもち、それだけ

たのしいことひとつ

マジでこんにちは。

職場で人目を盗んでブログ更新しようとしてできず

家にかえってカップめんすすったら寝てしまって昨日は更新できませんでした。

楽にやれば毎日更新できるや~~い!といいながら

わっほいわっほいするつもりだったんですが、普通に間あけてしまいました。

毎日更新するなんて重いことはせずに、書きたいときにかけばええんや。

日付いじって昨日更新したことにする、なんていうせこいことはしないぜ。

わいはもうそんなことしなくても生きていけるので。

 

 

だだっぴろい教室で、生徒が来るまでの時間帯

職場にあるホワイトボードの前にたって

自分がセミナー講師になった気分で思うこといろいろしゃべりだしたら

めちゃくちゃしゃべれてしまったのでびっくりしちゃいました。

めちゃくちゃしゃべれてしまったんだけど

めちゃくちゃしゃべれたその内容がほんとに思い出せないので

打ちながら思い出すことにします。

 

 

まず、まず

永遠に動き出せなかった自分がなぜ

今こうやって5日もブログを続けられているかというと、

全然意気込んでいないから。

成果を出すブログを書こうとしていないから。

これがもし、今までみたいに本気で書こうとしていたら

今もずっと何も出来ずに、仕事から帰ってきたら布団にもぐって終わりだろう。

つまり、成果を出そうとしないということが僕らの救いだということ。

 

 

本気でやろうとしてなにもできなかった。

真剣にやろうとしてなにもできなかった。

動け動けって圧かけるほど動けなかった。

もしかすると、世界は天邪鬼なのかもしれない

真剣にやろうとしないほど、こんなにするするかけて

もうどうでもいいです、綺麗な文章さようなら

と投げやりな気持ちで書くほど、書けるようになってきて

これが正しいか正しくないかは別として

わいはすごくうれしいんです

動き出せたことが嬉しい。

 

 

本気や死ぬ気や真剣さ

人のため、他者貢献、これら全部無視するほうが

僕らはそれらが意図しているものにたどり着けるような気がする。

本気や死ぬ気、真剣さは何のためか?って考えると

たくさん行動して、成果を手にするためだろうなと思う。

それって本気でやらなければたどり着けないのか?

本気だけが成果を手にするための専売特許なのか?

というと

どうも違うような気がしている

どうも違うような気がしているぼやぼやしたこの感覚に

確信を持つために

楽に楽しくやることに上手くなりたい。これから。

 

 

ほおっておくと、真剣にやろうとしてしまうのはなぜか?

楽が大好きなのに真剣にやろうとしてしまうのは

楽にやろうとすると、「楽にやれる方法はないかな」というと

罪悪感を感じるのはなぜか?

いけない道に足を踏み入れているような気がするのはなぜか?

自分がどうしようもなく情けない人間に思えてくるのはなぜか?

 

 

自分のために書けよ

自分が楽しくなるためだけに書け

結果的に、

あくまで結果的に、

それが何らかのいい影響をもたらしたらよし。

 

 

本気や死ぬ気や真剣さという生き方の存在も認めつつ

しかし僕らは、それが使いこなせないことが分かってるから

今の僕たちには使えない武器だということが分かっているから

 

 

結局のところ、楽しいか、楽しくないか。それだけ。

楽しいことはやるし、楽しくないことはやらない。

そんな子供のような自分の存在を意識しつつ、

大人の自分も使いたい。

「じゃあ、どうやったらこれを楽しくできるだろう?」

「どうやったら楽しい気分でやることができるだろう?」