らくらくらいふ

おだやかでおちついたきもち、それだけ

頭がないことについて

正直に申し上げますと返品しようと思っていた頭がない男。まあ返品する前にパラパラ読んどこうかなと思ってパラパラ読んでるうちに、2750円なんて、普通に一回行きたくない会社の飲み会いったら消えてしまう額だし、交通費合わせると飲み会いくよりも断然安いし、飲み会は疲労感だけ残ってすぐに消えてしまうもの。消えてしまうものに3000円くらい払ってる。しかしこの本は、ずっと持っておく本だから、家に置いていてもいいかなという気持ちになってきて、こういうところがやっぱり、給料をきちんともらえるいい会社に就職した(手取り12マンから22マンに昇格マン)いい点だなと思いました

 

 

今、見えてる景色に自分はいるか?

いや、いない。鼻がちらっと見えるだけ。

自分はいるか?テレビのモニターにうつる自分は、テレビの中にいるのであって、自分の中にはいない。こうやってキーボードを打っている自分。見えているのは手とキーボード。自分はいるのか?感触はある。でも自分はいない。

 

 

この不思議な感覚。少し気を抜くとすぐに消えてしまう、見失ってしまう。すにっちみたいなこの不思議な感覚にずっといると、確かに、自分の中心。自分を自分たらしめている中心は空っぽだという感覚になってくる。「何もない」が中心にある。だってみえないもん。みえないものを自分だと思っている。みえない。確認できない、空っぽを自分だと思ってる。ただ音楽だけが流れている。ただモニターだけがある。手が動いている。手が動いてモニターに文字が勝手に生成されている。

 

 

鏡にうつるのは鏡の中の自分。テレビのモニターにうつるのはモニターの中の自分。自分は確認できない。

 

 

空白。昨日また仕事のミスが発覚して明日お客さんにも社長にもめっちゃ謝らなきゃいけない。怒られる。いやだ。そんな明日の心配がずっと胸のあたりを侵食していて、そろそろ食いつぶされそうなんですが、この痛みも、ずっと眺めてたら「外側」に。「空白」にできないかなっていま期待してるんだ

 

 

 

頭が空っぽなら、自分の体全体も、存在全体も空っぽにできませんか?

エックハルトトールが体を透過するみたいなこといってた。腹が立った時、イライラや心配が自分の体を透過するイメージをもつこと。自分を通り過ぎること。結局はみんな同じこといってるのかもしれない。このイメージをずっと持ち続けるためにはどうしたらいいんですかね?

 

 

 

キーボードは「パタパタ」打とうとすると打ちやすいですね。パタパタ。

 

 

 

自分からフロー状態を迎えに行く。テンポを速くするとフローがやってくる。テンポの良さにフローは流れ込む。自分から動く歩道エスカレーターみたいなやつを呼び込む。ベルトコンベアに乗せられて、何もしなくても移動しているような状態をつくりたい。そういう感覚が確かに何度かあったから人工的に作り出すことは可能なんですが。テンポの良さかなと思っています。行動のテンポをあげると自然に応援されるんじゃないですかね。ゆったりのんびりだらだらやるから鬱になるんだよ。明日の仕事嫌だなと思っているときテンポよくぽんぽん行動しているわけがない。ずっとモニターの前でうずくまって、机をじっと見つめているかと思いきや頭の中の自分が怒られている映像を最前列のどまんなか、でかいスクリーンでみて圧倒されているんだ。

 

 

 

ハーディングの、自分が世界を生きているのではなく世界が自分の中に生きているみたいな考え方、すっき~~~はあと、すっきーすっきーこういう広くてすーっとする考え方が好きなんだけど、考え方を考え方で終わらせてしまったら、たぶんあと30秒もしたら見失ってしまう。この感覚を。それでまた鬱な気持ちで悩んだ夜に本を読んで思い出す。ああそうだった。こうやって生きるんだった。1か月も忘れてた。人生を無駄にした。とかなんとかいうのをくりかえしてつまらない大人になって普通に死ぬんだろうな

 

 

 

明日が嫌だって悩んでいる人間ではない。「明日が嫌だ」が水面からこの広い空間、広いというにはあまりに広すぎる空間に顔を出し、あまりの広さに途方に暮れて水面下にまた消えた。そこに自分はいたか?そこに自分はいたのか?

 

 

 

考えているから自分がいる?考えが、この広い空間にただふわふわ浮いていて、ふわふわ浮いていたど、すぐに消えた。シャボン玉が時間がたったら消えてしまうのと同じで、考えだって、どんな考えだってすぐに消える。広い空間に浮かんだシャボン玉。考えだって同じだ。思考だって同じだ。体の感覚だって同じだ。鬱だって同じだ。

 

 

 

家の近くの保育園から子供たちが遊ぶ声が聞こえる。子供たちが遊ぶ声が空間に浮かんでいる。

 

 

 

 

「裏返せ」

 

 

 

 

空間の中に自分がいるのではなく、自分の中に空間があるのだ

自分とは空間なのだ

空間の特性は?許容すること。なにもしないこと。なにもしないことによってすべてがなされるのが空間の特徴。空間がエゴを持ったら空間でいられなくなる。

 

 

 

何かを考えたくてたまらない衝動をそのまま、そのままにして、意識してそのままにして、何かを考えないととんでもないことが起こるような、そんな恐怖感に従わず、そのままにして、ただそのままにしていると、何も考えなくて済む。

 

 

 

みぞおちに湧きあがる痛み、心配、不安が凝縮されたような、重くて黒くて大嫌いなこの感覚。それは自分のものなのか?道に落ちてる虫の死体と何が違うんだ?これは自分のものなのか?自分がみえるから、感じるからといって自分のものであるという証拠?証拠っていうのかなこういうの、証拠がどこにあるのかな?

 

 

 

黒くて重い感情はただそこにあるだけだったのに、無理やり自分のものにしたがるから!いやそんなことはないです、いらないですこんなの、でも物理的に胸が痛くて、布団に横になりたくなるんです。

 

 

胸の痛みを、みぞおちの痛みをなんとかしようとするから、その存在を自分のものだと認めているんじゃないですか?空間に、ただ浮かんでいるだけ。雨が降ったら、雨が降ったってだけだよ。雨が降ったら、雨が降ったってだけ。たしかに靴は濡れるけど。雨が降ったら、雨が降ったってだけ。雨が降っていることに対して自分で操作しようとしたり拒否したり否定したりしない。みぞおちの痛みも自然な現象。雨が降ったってだけ。雨が降ったってだけ。

 

 

 

ちゃぽんと水面から顔を出した感情。世界の静寂に耐えかねて、水面にもぐった。ただ、静寂だけがあった。空間づくり、静寂づくり、つくるなよ、はじめからそこにあるのに