らくらくらいふ

おだやかでおちついたきもち、それだけ

実践家

知的好奇心を満たすためになってしまう。高い本買ってふむふむ、で終わってしまうから。毎日実践できるものしか真髄ではない。神髄ではない。

 

 

思考観察。これが最もシンプル。やっぱりエックハルトトールは偉大だ~。毎日実践できるとしたらこれしかない。思考観察するときのすーっとした感じを、セドナメソッドのように、ホ・オポノポノのように、淡々と、毎瞬、毎瞬実行し続けること。

 

 

 

知識としてだけ知ってても、淡々と、間断なく実践するという決意、意思がなければすぐに消えてしまう。1週間たって思い出して、そうだった思考観察だ、プレゼンスだ、とかなんとか。

 

 

ジョーヴターレ博士の「ハワイの秘法」みたいに、何度も繰り返し「クリアにすること」と書いてくれたほうが実践しやすい。あれはホ・オポノポノについての本だけど、そのまま「思考観察」というクリアリングに置き換えて読んでいる。実践者は毎瞬毎瞬実践していることが本当によくわかる。実践しているという意識が既にないくらい身近なものになっているし、自分の一部になっているから、あえてそれを言わないのかもしれない。

 

 

こうしてキーボードを打っている最中も、キーボードを触る感触に意識を向けて、思考をクリアにし、頭に浮かぶ文字も観察して思考をクリアにし、クリア、クリア、クリア

 

 

ホ・オポノポノは全く効果が感じられなかった(実践するのがしんどくて継続できなかった)が、「I love you」によってゼロ・リミッツに至るという話はすごく面白いし、これは高い山にのぼるためには登山ルートはいくつもある、という話で考えてもいいのかな?つまり間断のない思考観察によっても、ゼロ・リミッツ、神格からのインスピレーションがドカドカおりてくる領域に至れるはずだ。と考えているんだ~

 

 

思考観察することによって、クリアにすることによって、自分に損になることは何もない。ジョーヴターレも言ってたけどクリアリングは何かを手にするためのものではなく、平穏を成就するためのものなのだ。これがだいぶ好き。とっても好き。引き寄せの法則とかだったらこれ正しいのかな?これでほしいものが引き寄せられるかな?これでお金持ちになれるのかな?これがお金持ちになる正しい方法なのかな?っていつも不安かもしれないけど、「平穏を成就するための方法」なんだったら、今この瞬間にわかる。

 

 

思考に意識を向けたとたん、立ち止まって外の音に耳を澄ましたとたん、キーボードがうまく打てなくてイライラしたことに気づいた瞬間、そこにスペースができる(エックハルトトールのいいかた)。平穏が成就される。空間とは癒しだ。空間=癒しだ。S=C

 

 

だから、これは正しい。私は頭がないといわれても。私たちは空間なのだ、私たちは神なのだ。と言われても。哲学としてはおもしろいかもしれないけど、それは今のところは、わたしを救わないので、まだいいかな。まだいいよ。だから、これ以上本を買わなくても、今は、いいよ。知的好奇心、というか本を買いさえすれば救われるような気がしてついついアマゾンでぽちっと本を買ってしまうけれど。

 

 

 

徹底した実践だ。いまだかつて、1時間だって、間断なく思考観察できたことはないし、2~3回実践してそれで終わってた。だから4年間も「知っているのに身についていない」「知っているのに心はつねに暗い」というような感じだったんだよ

 

 

 

今日は休日だから、せめて休みたい。休日に仕事のことばかり考えて、いやな気持になってずっとこうしていたいって布団の中にもぐって気づいたら寝ちゃってて、外が暗くて、休日を無駄にした、もう終わりだって、今日は言わないようにしたい。

 

 

 

思考観察。空間ができる。そこがゼロリミッツ。間断なく、毎瞬毎瞬、思考観察。今にある。