らくらくらいふ

おだやかでおちついたきもち、それだけ

チョコぼりぼり食べ太郎

楽しい気持ちになろうとして、幸せな満ち足りた気持ちになろうとして、いつも苦しくなってしまって、こんなはずじゃないのに、早く穏やかな気持ちになりたいっていいながら、腹が立つことを思い出して、その嫌な気分がさらに嫌な思い出を連れてきて、芋づる式ってこういうことなんだ、ざっくざっく、記憶の底から掘り出されてくる、忘れてた嫌なこととか、人に話したら笑われるくらい小さな失敗の記憶とか。ささやかな失敗のほうがずっと心の中に居座ってじわじわ心を食い潰してくるよね、と打ってる今は大好きな声優さんのミュージックビデオをみています、楽しいものみてると嫌なこと思い出す、楽しいことはいつか終わると知っているから、それにしても終わるのがはやすぎないか?自分の気持ちを文章にして、濁った頭の中の濁った思考を外に流すんだ、ブログっていうのは頭の中の澱んだ思考を外に流すパイプなのだ、とかなんとかいってたらミュージックビデオが終わってしまった、かわいい声優さんの澄んだ歌声よりも、強迫的な思考のリフレインという最低なBGMばかり聞いてしまったよ、泣いてもいいかな?うわーん

 

 

 

楽しくなろうとすると苦しくなるって知ってしまったよ、もうひとつ知ったのは楽しさの反対は悲しさではなく苦しさだ、苦しいという言葉がいちばんしっくりくる。苦しいという言葉と自分が共鳴している感覚がある、苦しいという言葉だけは僕のことを分かってくれる。共鳴する、響きあう、そんな感覚がある。苦しい苦しいって頻繁に言うのは、苦しいって言葉を口ずさむたび、救われる感覚があるから。ほっとするから。

 

 

名状しがたい黒い感情の理解者として、的確な言葉をプレゼントしてあげたい。苦しい苦しい、で救われるならそれでいいけど、これは一時的なものだから。一生ほっとしていたいから、そのために何をすればいいかな

 

 

楽しくなろうとすると苦しくなるのなら、苦しくなろうとしたら、楽しくなれるかな。だったら苦しむのにな、だったら一日中、ずっとずっと苦しむのにな。そしたら結局苦しいままか?苦しむのが嫌で、苦しむのは間違ってるって信じてたから、楽な道ばかり選んできたのに、苦しいという言葉に安らぐ可哀想な人間になったんじゃ意味ないずら、今日もチョコをたらふく食べて気持ちが悪い、可愛い声優さんが映ってたWindowsは真っ黒の画面になってしまった、ディスクを取り出す時、楽しみが終わってしまったという許せない気持ち、悲しい気持ち、苦しい気持ち、即ち鬱、を経験したくないから、パソコンそのままにして寝ようかな、ハッピーになるのがここまで難しいとは思わなかった、子供は遊びの天才、みたいな表現が大嫌いなんですけど、確かに天才なのかもしれないな、子供はいつでもハッピーそうだし。

 

 

大好きな声優さんと表参道でデートする妄想をして寝よう、と決めて目を閉じてイメージをうーんうーん言いながら描こうとしたら、職場でうなだれてる自分の映像がすぐに浮かんだ、こんな映像で眠りたくねえよ、自分を苦しめるイメージを描く天才だな、さようなら