らくらくらいふ

おだやかでおちついたきもち、それだけ

人生は誰が生きているのかと言う話

昨日カタカタ、パソコンを打っていて

部屋を出て、外界に飛び出した自分はまるで別人みたいだと

別人が働いていて、自分は働いていないのだといった。

f:id:rakugakubu:20181207211817p:plain

 

フェフェフェ~~~イwwww

 

 

 

な自分が、意気揚々と職場に行く。

 

 

これについて深く考えてみたんですけど

やっぱり、とても同一人物とは思えない

部屋で悩んでいる自分は、職場には一切侵入していないし

職場でわりとポジティブめに生徒に接している自分は

家に帰ると、完全に消失している。

 

 

だったら、職場での自分

嫌な仕事をどんどんとやってしまうこいつに

部屋の中での活動も、勉強することも努力することも

生きることすべて丸投げすればいいんじゃないか

部屋の中で悲しい気持ちになりがちな自分は

もういらないのではないか。

 

 

「普段どおりネガティブな自分」と

「ネガティブになりにくい自分」のふたりがいる。

ネガティブになりにくい自分にすべて投げ込むこと

投げ込む、という言い方がとても的を射ている

自分が生きようとしないのだ

完全に委ねる、丸投げするのだ

 

 

大学2年の頃から、思考を観察する意識状態に入る練習をしていたので

今の自分は

「思考が存在しない自分にすべて投げ込め」

という言い方ですぐに入ることができる

問題は、それに気づくことが難しいということ

気づいたときは思い出せる。

気づいたときは思考を観察できる。

気づかなければ、入れない。

気づかなければ

嫌な気持ちになっていることに気づかないまま

ネガティブな自分として生きてしまう

 

 

 

自分がいないということ

普段どおりの自分がそこにいないということ

自分がいないという感覚はとても大切だ

自分がいないとき、それでも何かの機構が働いている

何も考えなくても、生きていける

 

 

始める前に投げ込め

投げ込んでから始めろ

こういうことを分かりやすく

ブログで説明できるように

12月中にはできるように

 

f:id:rakugakubu:20181210135507p:plain

 

 一緒にがんばってこうな!

 

 

適当にキャラかきすぎたから、

上の顔は廃棄して、別の顔をつくらないと

 

f:id:rakugakubu:20181210135507p:plain