昨日日記の更新をすっぽかした件につきまして
こんにちは、
と言う権利すらないのではないか?
昨日、日曜なのに日記の更新を一切していなかったから。
なぜ更新をしなかったかというと
うーん、書く話題がない、夜になったらなにか浮かぶかも
みたいな、真剣な気持ちでいたから
どこが真剣なんだよ、と思う人間もいるらしいねこの地球には
書く話題がなければ
「今日は何も書く事がありません」
「書く話題がありません」
「お正月が楽しみです」
「お正月に家族で食卓を囲んであたたかいご飯を食べるのが楽しみです」
「しかし、私には食べる権利がありません」
「何の成果も出していない自分が、おいしそうなお雑煮をハフハフいいながら食べてるところを想像すると、涙がでてくるんです、あまりに可哀想で。親が。バカ息子がバカみたいな顔でお雑煮食べてる顔みて親は何を思う。受験も就職も何もかも失敗しやがって、何もしていない自分が、こんなの食べる権利ないのに。ふざけんなよ、帰れよ、7帖の冷たい床に這いつくばりながら、おあつらえ向きの低所得飯かっ食らってそのまま舌噛んで死ね」
って書けばよかったのに
ほれ、文章はするするとでてくるようだよ
内容はともかくとして
「内容はともかくとして」というのは
とても重要なことなので、もう一回いっちゃおうかな
「内容はともかくとして」
例えばなぜ、勉強しよう、と思い立ったとき
テキスト開くことしか、しようとしないのだろう。
何かをやろうとするときに、その対象ひとつだけしか取り出さないのはなぜだ?
その対象ひとつとしか向き合おうとしないのはなぜだ?
別に、マンガを隣に広げてもいいじゃないか
同時にふたつのことをやったっていいじゃないか
やだ~~~
どうして?
勉強に集中できなくなるので
つまり、集中しようとしているんだ。
あなたは集中しようとしているんだ
集中しなければ、やる価値がないとすら思ってる
集中しなければ意味がないと。
そう思ってるから、ずっとずっとずっと先延ばしにしているんだ。
集中して取り組むことを嫌うゆとり乙wwwwwwwww
とはいうが、
真剣に取り組もうとすることが先延ばしの原因だというのは分かりきっているので。
それでも、どうして、真剣にやろうとしてしまう癖が抜けないのかな?
例えば、僕は
浪人生の頃に出会った勉強法の本に
「書くのは時間がかかるから、書かずに読め!」とかいてあって
たしかに~~~という納得とともに、読み続けようとしてきたんですけど
読んでいるとひたすら眠くなって、10分と勉強が続かない
素早く読め!と書いてあったので
オラララララララゆうて、素早くページめくって、読んでたんですけど
全然頭に入ってこない。
そのうちやめちゃって
いや、忍耐力がない、よくないよ
といってまたはじめて
で、またすぐにやめちゃって
それでも
「書くのは時間がかかるから、書かずに読め!」
は尋常ならざる説得力を持っていたので
深く深く腑に落ちたので
ずっと書くことを忌み嫌っていたのだ~~
そしたらどうだよ!!!
2012年の秋からもう6年経ちやがった
僕は6年間も未だに勉強が苦手ときている。
なぜか?
書いてないからだよ!!!
確かに、書くのは時間かかるから
同じ時間をかけるなら、読みまくるほうが正しい
何度も繰り返し読むことで、繰り返しの力で記憶に残ると。
本当にその通りなんだけど、
それでも、書くことによる「勉強を続けさせてくれる」効果は
読むことの効率を凌駕した
僕にとっては、効率的に勉強することよりも
勉強を続けさせてくれることのほうが大事だったんだ
僕は本を読んでいると眠くなるタイプなので
読んで勉強することはあってなかったってわけだ。
本に書いてあることは正しいけれど
あなたに合っているかどうかは分からないよ
そのことに気づかずに、
自分の忍耐力のせいだ、怠惰のせいだ
って確かにそうだろ
確かにそうだけど、何回もやろうとしてできないのなら
どんなすばらしいメソッドだって捨てたほうがいいよ
そうだよなァ!
はい!
もちろんです!!
本を読むことは、確かに気軽にできて
書く事は机がないとできなくて
手軽さの面でも、読むことのほうが優れているんだけど
自分にはあってなかったようだ
すぐ手に取れても、1分ともたない
真剣に読もうとしてしまうから
それで結局苦しくなって、眠くもなって
読むのやめちゃって、おわり。
その点書くのはいいよなぁ!
書くという運動の前では怠惰もふっとんでしまうよ
運動、運動、手が痛くなったら読めばいい
読むのに疲れたら書けばいい。
時間がかかろうとどうでもいいだろ
効率が悪かろうとどうでもいいだろ
自分が続けられる方法で
自分が心地よく続けられる方法で
脳科学的に、なんてどうでもいいだろ
受講生1000人が効果を実感!なんてどうでもいいだろ
自分が続けられる方法で
自分が心地よく続けられる方法で
だったら、だったとしたら
僕はマジのガチで
当たり前のように禁忌を発動するぜ
テキスト開きながらアニメみて、適当に手を動かすだけ
勉強しようという気持ちすら持たず
「適当にテキストふら~眺めて書きたいこと紙に書くだけ」
「書きたいこと紙に書くだけ」
書きたいこと紙に書くだけ、だあ?
じゃあ僕もいまこのブログに書きたいこと書いていいってのか?
いいよ!
大好きな声優さんの写真集を朝な夕な眺めて優しい目をしているんですけど、どう頑張っても、自分は消費者で、消費者のまま、一生終わってしまうんだなと思うと、とってもピュアに切なくなってしまうな。朝な夕な眺めてにっこりしたあと、「だからなんなんだよ」とはき捨てて布団の上に投げてしまうな。投げてしまったあとに罪悪感でいっぱいになって、写真集ひろいあげて表紙をなでてしまうな。きもちわり、きしょ、でも、もしかしたら、と思う気持ちもあって、もしかしたら何?と問いかけたところで、出勤の時間だ。だからなんなんだよ、安月給ひっさげて時間を消費してんなよ、帰ったらどんべえたべよーね、じんせいおわりだ。おわりだよ~~
「テキスト開いて紙に文字かいときゃいいんだ」
これだけ。これさえ満たせばあとは何をしようと勝手だ
アニメみながらだって、テキスト開いて紙に文字かくことはできるぜ
低所得飯をいためている最中だってテキストひらいて紙に文字かくことくらいできるぜ
布団に入って同人誌フンフフーン♪いいながら読んでるときだって
右手は文字を書く事ができるぜ、汚ねえ布団の横にテキストでも置いとけよ、アホが
何かを始めようとしたとたん、胸に湧き上がる不快感
そいつは何をたくらんでいる?
「書く」があらゆる抵抗を小さくしてくれるってことは
もう分かってんだ
でも昔自分がつくった「書くことは悪」というプログラムが
まだ消えてくれない。
よし!こうなったら縄跳びだ!!
ぴょーん!ぴょーん!