らくらくらいふ

おだやかでおちついたきもち、それだけ

Stillness Speaks

結局のところ、この本が最強だった。

この本暗唱しようぜ、もう

すばらしい気づきの宝庫だ。

ニューアース信者としてこれまでやってきたんスけど

まず文章が少ないし、ぎゅっとまとまってるし

「静止の空間」「人生を放っておく」

みたいな

個人的にぐっとくる表現が多かったので

邦訳が批判されたりしてるけど、自分にはよかったな

自分にとって良かったからひゃくてんやでな

 

 

たくさんの非二元の本を読んできたけれど

たくさんの本を読んだからこそ、結局身につかなかったのかもしれない

ほんとたくさんの本が本棚に並んでるけれど

自分が実践しているものはなにひとつないんだな

布団の中でアホな顔で唸ってただけの人生だからね

結局、本を読んだとしても、その内容を頭の中にとどめておいて

頭の中にとどめた知識を実践に移すことしか人生を変える術はないんだな

自分に一番スコーン!と響いた本を何度も何度も繰り返し読み

繰り返し読んでいるだけでは実践のレベルまでなかなか落とし込めないので

重要箇所、せめて自分で線をひいたところは暗唱できるように。

 

 

一文を暗唱して、自分でそらで語ってみると

暗唱した文章に対するオリジナルの注釈が頭におりてきて

わあ、すげえや、考えなくても口からするするでてきた

なんて感動することもできる

間違いなく、自分の頭で考えたわけではない

思考の領域に向こう側からアイデアが流れ込んできたのだ!

なんて悟りを得たり得なかったり

そんな気持ちになれるぜ、やったね

 

 

今日の昼は生徒のいない教室で本の内容を語ってたんですけど

すごく穏やかに過ごせた。あの時間はすごく穏やかだった。

呼吸を観察するとか、周りの音をきくとか、

「静寂」に至るための方法は山ほどあるんだけど

「思考を観察する」が一番自分にしっくりくるな。

 

 

そして、「思考を観察する」よりも

「思考を感じ取る」という表現のほうが

より思考活動に対して”近い”感じがして好きだ。

表現のしかたひとつで実践の質が変わる

言葉って大事だな。言葉すきだよ~

 

 

明日について心配しない。

人生は予測不可能に展開していくものだと悟ること。

明日こんな嫌なことがある、あーいやだな

っていうのは、明日傷つかないための予防線

今心配しておけば明日嫌なことがあってもうまく対応できる

みたいなかなしい思い込み。

明日どころか今この瞬間、既に傷ついてしまっているじゃないか

そして、明日起こる嫌なことに直面したときよりも

「そうなったらどうしよう」と心配しているときのほうが心は潰れてる

地獄に落ちたらどうしよう、と心配している時間、そこが地獄だ。

未来をコントロールしたいから、明日を完全に知っておきたいといって

明日を予測して、勝手に傷ついて、勝手に嫌な気持ちになって

現実には何も起こっていないのに。

すべて脳内で作り出した嘘なのに。

あまりにも健気でかわいそうな人間だ

明日について心配している時間以上に、自分の心が潰れているときはない

明日を心配しない。明日を放っておく。人生を放っておく。

なぜなら人生は私が進めていくのではなく、人生それ自身で勝手に展開するから

いくら心配の合いの手をいれたところでそんなことお構いなし

心配するだけ無駄だ。

何の役にも立たないぜ

人生には私を幸福にする義務はないから

時にこっぴどく傷めつけられたりするだろう

でも、それでいいんだ

人生は私の幸福のために存在してるわけではないから。

そして、傷つけられたとしても

苦しみを作り出すのは思考なのだから

思考を観察すれば、痛みは和らぐ

だったら明日の心配なんてしなくていいよな。

 

 

人生をほっとく

生きることを放棄する

どうせ満足いく人生じゃなかったんだから

人生の舵を、この空間にゆだねてみよう

ハンドルを握っているのが静寂、私は乗客

どこにでもいってくれ

どうなったって文句は言わねえ

ほんとだよ