らくらくらいふ

おだやかでおちついたきもち、それだけ

私の中に私はいない

観察者宣言

「私の中に私はいない」

(2018.12.19 脳内講和集) 

 

 

私の中に私はいない

頭の中を思考が通過する

それは私ではない

私ではないものに構う気はない

私の中に私はいない

 

 

私の中に不快感が流れる

それは私ではない

システム自身が拵えた不快感を

自身の体内に流しただけ

私とは何の関係もない

私ではないものに構う気はない

私の中に私はいない

 

 

 

自転車で職場まで向かう途中の

通り過ぎる風景

信号、狭い歩道、街路樹

どれも私ではないから気に留めない

過ぎ去っていく

私のものではないから

過ぎ去っていく

「今日はこんな仕事があって」

「ああいやだな、早く帰りたい」

過ぎていく風景を気にも留めず

脳内の会話、みぞおちの不快感を抱え

抱えながら、抱え続けながら疾走する

不快感を職場へ運ぶ自転車

だが

これも私のものではないとしたら

過ぎていく景色と同様に

気にも留めずに眺めるだけ

過ぎていく思考

過ぎていく不快感

私とは何の関係もない

私ではないものに構う気はない

私の中に私はいない

 

 

 

私の中どころか

この宇宙のどこにも

私はいなかった

私ではないものに構う気はない

私はいない

 

 

 

3秒だけ分かった気になって

3秒したらまた「私」

明日も仕事だ

明日も面倒な仕事だ

3秒だけ分かった気になって

その3秒だけ自由になって

3秒だけ宇宙に投げ出された

このまま一生戻ってこなければ良かった

人間ひとつ、システムひとつ、観察者が捉えた映像

 

 

 

私の中に私はいない

だからすべて流していく

人との会話に自然に反応する自分を

パソコンに届く新しい業務に自然に反応する自分を

どうあがいても、自然に反応してしまう自分を

ただただ眺めていよう

自然のシステムが働いていただけ

これからも自然に流れていくだけ

何かをしようと思ったのは脳であって私ではない

行動の指令を出したのは脳であって私ではない

仕事に対処しなきゃと思ったのは脳であって私ではない

仕事に対処するのは脳および体であって私ではない

認識できるすべては私ではない

私の中に私はいない

宇宙のどこにも私はいない

 

 

宇宙のどこにも

自分のうちに抱え込むに値するものはない

すべて私ではない

ただただ流れていく

観察していく

観察が自動的に起こるがまま

観察していく

 

 

私の中に私はいない

私の外に私はいない

私はいない