らくらくらいふ

おだやかでおちついたきもち、それだけ

楽をする自分を放っておく

 

意志の力で物事に取り組む、自分に負けるな!という考え方と

できるだけ楽を感じられるやり方でやっていこう、という

2つの考えが交互にやってきて、ふらふらしています。

個人的な好みで言うと

楽に取り組めるやり方が一番しっくりくる。

重要なのは、「将来につながる何か」をやっていること。

楽して成果を出そうと思わなければ

楽をすることに何の抵抗もない。

成果を出すのは自分ではなく、

成果の側が勝手に成果を出すんだ。

人事を尽くして天命を待つ、と同じ考え方

だが、人事は尽くさない

楽に取り組める範囲で、楽にやっていく

 

 

って書いていて、大丈夫かえ?

と思うのはなぜだろうね

やらなきゃ、もっと自分を追い込まなきゃ

と思い続けて失敗してきているのに

やっぱり自分を苦しめるとか自分を追い込むとか

限界突破とか、そういう考え方ってめちゃくちゃ魅力的だな

唯一残念なのは、自分にはそれができなかったこと

 

 

「できない」といってるからできないんだ、

っていう自己批判をずっとずっとしてきたから

ずっとずっとできないままなんだよ

今までと同じ考え方だったら、きっと今までと同じ結果になるね

自分は、楽という感情を大事にする。

楽に、心地よく響くやり方で。

真剣に、本気でやっているひとの成果の1/10でいいから。

成果ゼロで何年もやってきた身としては

それくらいでも十分な成果だ

と口ではどうとでも言えるのだけど

「そんなんじゃまにあわない」

「そんなんじゃいつまでたっても人生を変えられない」

とこぞって批判したがる人間ばかりだ、自分の中には

 

 

本を開いて、文字に目を通して

「絶対に理解しない」

というほうが難しいのではないか?

文字に目を通すと、理解が自動的に起こってしまう

どうがんばっても、わずかながら理解が働いてしまう

理解が進んでしまう

これはとめられない。文字を読んでいる以上。

 

 

理解しよう理解しようとうんうんうなって

テキストやったり、難しい本よんだりするけれど

うんうん唸ってるのって実は理解が進んでいる証ではなく

ただ単に好きで苦しんでいるだけだとしたらこわいな

そうじゃないかと疑っている。

どうなんだろ

なんにしても私は楽を選びます

なのに

進んで苦しんでしまうな

好き好んで苦しんでしまう

苦しい考え方をしてしまう

習慣は根強いですね

 

 

楽をしているから、とかではなく

楽の状態を見出そう見出そうとしている自分を

そのままほうっておいてくれないか

いちいちめくじらたてずに

おま、そんなことしたら大変なことになるぜ

なんて自分にだけは言われたくねえな

自分のやり方を批判するのは未だかつて自分だけだったから

 

 

 

楽でいいというよりは楽がいい

楽をしたいという感情にヒントがある

もしも心地よくできたとしたら

きっとそれは一日中やってしまえるよ

心地良いのだから

そういう領域を目指したい