らくらくらいふ

おだやかでおちついたきもち、それだけ

心は誘導される側

 

「悩まなければいいんだよ」

と言われ

だからその方法を教えろよ

と怒っていた

 

 

元気な人になりたいな

どうしたら元気な人になれるかな

と言った時点で

自分は下で

方法論が上

方法論に自分が従ってる

方法論に自分がへりくだっている

方法論さん、私を元気にしてください

何卒よろしくお願い致します

 

 

 

そうじゃねンだ

悩まないためには悩まないことしかない

どうすれば、ではなく

元気になると決めることだ

元気になると決めるとは

自分の心がどうあれ、

元気な人のふりをするのだ

多くの人間かっこ、わたしふくめ、が

最も嫌がる

「今の自分の状態を無視して」

元気な人の演技を全力でするのだ

心と体との乖離が大きいほどいいんだ

心に解らせてやるんだ

体からスイッチを入れて

元気って、こういうことだよ、のスイッチを

ぽちー押して

つまり

元気な人→うざいほどダイナミックに動く、素早く動いてる、大きな声で挨拶する、わしゃわしゃ動きつづける(仕事のマニュアルでも空間に向かってずっと暗唱してろよ)

これをやって

本当はそんな事やる心じゃないのに

これをやって

これをやったら

ほんの少し心が解けていった

こういうことなのではないか?

 

 

 

 

気分がくらいときはとことん落ち込むといい

という言葉は本物だと思っていたから

7年間ほとんど落ち込んでいた

自分の心を無視して元気なフリをするのは

人として最低な行為だと思ってたから

心の言う通り

下向いて、ため息ついて、嫌なこと思い出して、みぞおちに鉛を流し込んで

でもそれってどうなんだ?

心は自分じゃないのだから

わざわざ言うこと聞いてやる必要はないのでは?

 

 

心を無視して

心を抑圧して元気な振りをする

ではないのだ

心を誘導してあげるのだ

元気な姿勢、元気な身体の状態

元気な人の言動、をつくることで

その司令を出したのは私

つまり、自分で決めるのだ

心を導いてあげる

どこに向かえばいいか分からない心に

こっちだよ~と

→ → 順路 → →   \\٩( 'ω' )و///

 

示してあげるのだ

 

 

心を誘導してあげる

意図せずつくられた暗い気持ちを

誘導してあげる

元気な人の演技、元気スイッチで

自分の心がかわる感覚を注意深く観察しろ

 

 

 

少しでも何かが変わればそれでいい

体→心

の順番を意識してみよう

心の観察日記