らくらくらいふ

おだやかでおちついたきもち、それだけ

心は生産物

生きるとは、形を作ること。
形を作れば、心も思考もそうなる。
心が乗り気じゃなくても、形を作る
心が同意するから、形を作るのではなく
形を作るから、そこにふさわしい心が注がれるのだ
心と形は全く別物なのだ。

皆、心に従って生きている。
周りの人間を眺めてみろ。
自分含め、みな心に従っている。

心を導くのは体だ。
つまり、形だ。

結局のところ、元気いっぱいの成功者の型をそのまま真似して、心はどうあれ、心はどうあれ、真似すればいい。

器を作って、そこに何が注がれるのかをみてやればいい。

それで心が傷つくのなら、その傷ついた感覚をずっと感じている、経験している、つまり観察しているといい。

その痛みは、型どおり生きることで、どう変わっていくか見ていくといい。
人生の不和の原因は型をつくっていないからではないか?
中身はどうあれ、型をつくるのだ。

やりたくない、やる気が出ないってそりゃそうだろ。心はいつだってやりたくないんだ。それを導いてあげるのが型だ。形だ。

いつでも心に従っていた
心は無視すべき存在ではないし
心が嫌がることは全てやってはいけないことだと思っていた。

心はただの生産物だ
思考はただの生産物だ
人生の成果はただの生産物だ

何の?
型の
形の
姿勢、言動、意識